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「はたらく」について考えてみた。ぼくはあなたの「はたらく」に支えられている

今回はいつものWeb関連のノウハウ系ではなく、ぼくが最近感じていることを綴っていきたいと思います。

世の中の多くの社会人は「はたらく」ことで生計を立てています。ぼくももちろんその中の一人です。
金銭的な報酬は発生していませんが、家事や育児も立派な「はたらく」です。

ではこの「はたらく」とは一体何なのか、改めて考えてみたのでぼくの考えを述べていきたいと思います。

はたらくの語源

ご存知の方も多いとは思いますが、はたらくとは、「傍(はた)を楽(らく)にする」という説がよく言われています。

これは字の如く、「傍」つまりそばにいる人や、周囲の人を「楽」にする、つまり他者の負担を軽くしてあげる、楽にしてあげて心地よく豊かにすることだということになります。

しかし実際は語源通りに傍を楽にするために仕事をしている、という人は少数派で、生活のために仕事をしている、という方が圧倒的な多数派なのではないでしょうか。

傍を楽にするどころか、「はたらく」ことが苦しくて辛い、という方も大勢います。

自分の周りのはたらくを観察してみた

ぼく自身も、独立して日々楽しく仕事をさせていただいてはいますが、働かないと食べていけないので働いている、という面ももちろんあります。

このはたらく、という行為に多くの方が1日の1/3、多い人では1/2以上も費やしています。

そんな人生の多くの時間を捧げている「はたらく」という行為に対し、ただ「生活のため」だけで死ぬ時に本当に後悔はなかったと言えるのか?と疑問に思い、改めてこの「はたらく」という行為に対して考えてみようと思いました。

そこで改めて自分の身の回りに注意を払ってみると、日常の当たり前が全て他の人の「はたらく」で支えられていることがわかります。

例えば、

  • 雨風を凌いで、安全で快適に過ごせる住居
  • 蛇口をひねだけで出てくる安全に飲める水
  • スイッチを入れて栓を回すだけで出てくる温かいシャワーやお風呂
  • 便利な家電
  • 夏は涼しく、冬は暖かく、年中夜を過ごしやすくしてくれる電気
  • 近所のスーパーに行くだけで手に入る美味しい食材、そこでスムーズに品が手に入るように対応してくれる店員さん
  • 美味しいものを提供してくれる飲食店
  • 快適に過ごせるようにしてくれる服や靴
  • 健康な体を維持するために快適な場を提供してくれるスポーツジム
  • 生活をとても便利にしてくれるスマートフォン
  • その人が長年の経験や知見で得られたことを学べる書籍

等々、挙げればきりがないほどの「はたらく」によってぼくたちの便利で豊かな生活が成り立っていることがわかります。

これらは現代に生きるぼくたちにとっては一見当たり前のように感じてしまいがちですが、どれも全て支えてくれている人たちがいて、この人たちの「はたらく」がなくなったらぼくたちはまともに生活することすらでません。

自分は「はたらく」に生かしてもらっていることを知った

ぼくはこの「はたらく」について観察したとき、多くの人の「はたらく」で自分の生活が成り立っていることを改めて強く認識しました。

「はたらく」人がいなくなったら、安全な水を自分で用意できないし、食料を自分で調達することもできないし、毎日お風呂に入ることもできないし、住む家もありません。

ぼくの場合は電気やインターネットがなければ仕事をすることもできないし、大好きなジムでの筋トレをすることも、アマプラで映画を見たり、YouTubeを見たり、読書をしたりすることもできなくなります。

また、もし毎日のごみ収集がきてくれなくなったら、そこら中ゴミだらけになって、人々の気持ちが荒んで国の治安そのものが悪くなるでしょう。

そう考えると、自分は一人だけでは生きていくことすらできず、多くの人の「はたらく」によって生かしてもらっているだけでなく、こんなにも便利で豊かな生活を提供していただいてることを実感し、多くの方々の「はたらく」に感謝の念を強く持てるようになりました。

当たり前に目を向けてみる

今とても便利で豊かな社会で暮らしているぼくたちにとって、これら多くの人の「はたらく」が当たり前になってないか、もう一度振り返って考えてみることが重要なのではないでしょうか。

  • 買い物をするときに対応してくれるレジの店員さん
  • 美味しいご飯を提供してくれる飲食店の店員さん
  • 綺麗に髪を切ってくれる美容師・理容師さん
  • 安全な水や電気、ガスを届けてくれる人たち
  • 美味しい食べ物を生産してくれる農家の方々
  • 便利で快適な暮らしを支えてくれている家具を作ってくれた職人さん
  • 安全にぼくたちを送り届けてくれるバスや電車の運転手さん

等々、あげるときりがないほど多く出てきますが、こういった日常でぼくたちを「はたらく」で支えてくださる方々の存在が当たり前になっていないか、もう一度よく考えてみてください。

これらは決して当たり前ではありません。

一人一人の懸命な「はたらく」によって実現していることです。

ぼくは「感謝」の反対は「当たり前」だと考えています。

目の前の「はたらく」に対して当たり前と捉えるのか、「感謝」を持って接するのか、その違いはきっと人生そのものの幸福感にも大きく影響してくるのではないでしょうか。

ぼくは、自分ができることとして、「ありがとう」を伝えることを大切にしています。

仕事で関わった方はもちろん、スーパーやコンビニのレジの店員さん、近所の美容師さん、飲食店の店員さん、荷物を届けれたドライバーさん等、自分がその方々の「はたらく」に触れたとき、はできる限り言葉で感謝の思いを伝えています。

目の前の人に感謝を持ち、それを表現する、ということは人生を豊かたにする上でもとても大切なことだと実感しています。

あたなたも誰かの傍(はた)を楽にしている

今回本当にお伝えしたかったことは、あなたの「はたらく」もきっと誰かの傍(はた)を楽にしているということです。

例えば工場等の直接お客様と関わらない仕事の場合、誰かの役に立っている、ということはなかなか感じづらいかもしれません。

でもあなたの「はたらく」が間違いなく誰かの役に立っていて、傍を楽にして、誰かを笑顔にしています。

この自分も社会の役に立っている、という感覚は仕事をする上ではとても大事なことだとぼくは考えています。

人間はあくまで根本的には社会的動物であり、誰かの役に立つことが大好きです。

人に喜んでもらえて嬉しくない人はいません。

とは言え急にそんな感覚を持つことは難しいと思います。

そこでまずは想像してみること、思いを巡らせてみるところからスタートしてみてはいかがでしょうか。

自分の「はたらく」はどんなシーンで、誰の「傍」を「楽」にしているのか、じっくり想いを馳せてみる、そんな時間が忙しい現代社会を生きるぼくたちには必要なのかもしれません。

さいごに

自分の「はたらく」が誰かを支えている、そんな感覚を持ちながら仕事に取り組む人が増えていけば、この社会はもっと素晴らしいものになると思います。

あなたの「はたらく」に今日も感謝をしながら、ぼくも一生懸命「はたらく」ことを楽しんでいきたいと思います。

それではまた!

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